みゃうまつもは穏やかに暮らしたい

化学物質過敏症みゃうまつもの雑記帳 言いたいことも言えないこんなおからだじゃ~

桜とポリシーを心に刻む

けがれた涙をあのかわいいこの上に降らせたくない さいていないきもののはなし

 

 

どうかやすらかであれと心で思うことだけ

会いにはいかないからそれだけ

 

 

かつて私は

心優しい人と結婚した

賢くて愛らしい猫と共に暮らした

そして6年と少し前に

黙って家を出た

 

 

このまま一緒に居ては互いの心身を破壊すると思って離婚を切り出した

二人とも病持ちだったけど

二人の内、生存の可能性が高く、猫と暮らしていけるのは

化学物質過敏症と電磁波過敏症を発症し精神を病んだ私ではなかった

そんな制限のある自分がバツイチでこの齢でひとりで生きる為の準備ができるとは思っていなかった

住まいを探すにも、仕事を探すにも、ハードルが高すぎると思った

だから

 

自分は家を出たら多分自分で終わりにするだろうと本当にそう思って家を出た

 

 

お互いに助け合ってこそ夫婦でしょうが

とか勝手な理想や「常識(あなたにとっての)」をいう人もいたが

うつ病と化学物質過敏症と電磁波過敏症(更に最後は喘息も再発した)同時発症は支え合って何とかするにはかなりつらい

 

私の背を押したのはあの人のかかっている医者だった

 

夫の為に私に何ができるか と聞いた時の医者の答え

「あなたと一緒に暮らしている限り治らない」

辛い上に治らないならストレスを与える私がいるのは助け合うことにならないじゃないか

 

 

離婚を切り出す数か月前

 

私に頼らず仕事と家事の両立か可能かを試してもらった

そして一人でも生活できることが分かった

(本人からもやっていける自信が持てたとそう聞いた)

 

一人の収入で一人で暮らすのであれば、賭け事や詐欺にあわない限り、冷宅食や安い家事代行を使っても老後まで安泰であることを、それまでの生活費の試算で証明し提示した

(逆に私が専業主婦として一緒に生きていくと膨大な支出がかかってくるので将来共倒れになるのは試算で明らかだったMCSなめるなということだ) 注:コロナ渦、世界情勢悪化の前の話

 

あとは職場と自宅で化学物質に追い込まれてヒステリーになっている私を排除するだけ

 

そう確信をもってから離婚を切り出した

 

 

そのあとは出来るだけ嫌われるように(これ以上嫌われないかもしれないがそこはわからない)

そして離婚後に私を思い出す様子をできるだけ減らすようにして出ていくための準備をした

 

 

優しい人だから

今は弱っていて自分の事でいっぱいいっぱいだけど、落ち着いたら自分のせいだったのではと自己を責めるくらい優しい人だから

怒ってくれた方が生きて貰えると思った

 

恨むのも辛い生き方だけど

離れることは決まっていて「恨むか己を責めるかの2択」しかあの人になくなってしまうのだから、だったら己を責めて生きて欲しくないし、恨まれる方が生きて貰える可能性が高い

そう思った

 

何言ってんだこいつと思われるかもしれないが

自分はこの時心も病んでいたしタイムリミットが迫っていていっぱいいっぱいだった そもそも日々の発作におびえてまともじゃなかった

 

 

①2018年12月31日までにパートの給与振込を終わらせる

(2019年に支給がかかると2018年度だけでなく2019年にも離婚した妻の給与関係の書類が届いてしまう、2019年度の確定申告でもまた思い出させてしまうと思ったから)

 

②私宛の書類が配達されないように不要な契約を切る

(お店のDMとかすぐに住変できないし自分に引越し先が決まるかも解らなかったから)

 

③家出まで(それ以降も)実家の人間から逃げ回る

(両親にはあの人が伝えることになっていたが、その時期を決めていなかったために両親の金婚式後にしようと考えていた私はその前にもう話したと言われて両親に合わせる顔がなく怯えてしまった そもそも実家の援助を受けてのうのうと暮らす気はなく、連絡先を伝えることも離婚後連絡を取ることも全く考えていなかった 緊急連絡先の弟だけだ 彼には生命保険金受取人になってもらった)

 

④ダメもとで住居探しと引越し&それらの連絡が自宅に来たり郵送されない根回し

(私の不在時に勝手に物件のファクシミリ等送られないようにしたり…これの数か月前に郵送で届いた自殺後の葬儀の契約書類をうっかり開封されてしまったことがあったので)

 

⑤2019年から私の事を思い出させることをできる限り減らす

(①②とちょっとかぶる内容。あの人の記憶を消すことは不可能だが、離婚手続き完了書類到着以降、私の事を無意味に思い出させる書類や事柄をできるだけ減らす為、私に出来そうな手は打っておく)

 

⑥出ていく日を悟らせない

(優しいたちなので出ていってほしくてもそうでなくても、動揺したら引き止める行動に出るかもしれないと思ったので そして引き止められて重い留まっても互いに後悔が待つだけなのは解っているので あの人は離婚決定後、離婚の記憶が稀に欠落した言動をするなど精神的に不安定だったが医者の言う「あなたかいる限り」説があったので絶対黙って憎まれて出て行こうと決めていた そうすれば元気になると信じていた)

 

⑦全て2018年内で終わらせる

(翌年にかかると法的な物役所的な物の一切合切が2019年度まで続くのであの人の苦しみが長引く 年内に切れれば2019年3月でほぼ終わる)

 

 

⑤では市役所の方に沢山アドバイスを頂いた

発作的に探されないようにすぐには転居先を知られない書類の提出方法タイミングなど

不備があると間に合わないため完璧に記入できた書類を用意する事

 

私はこの時ドメスティックバイオレンスに遇って逃げるわけではないことを告げた

そう思されても当然な離婚手続き方法を質問しているので誤解されるのは当然だから、そこはしっかり違う事を理解して頂いた

この役所のある区に残るのは私じゃないから、どんな誤解も無いようにしたかったのだ

それがのちに自分を甘やかすことになった

 

 

私は区役所の方に互いの為に離婚することを理解してもらう為

「お互いの疾患が寛解したらまた会いたいのだ」

と決して実現しない己の夢を口にしてしまった

 

後先もうない死ぬだけだ と覚悟して離婚に臨んだのに、区役所で言ったその言葉が私の中に深く残った

言霊 というやつだ

 

 

運がいいのか悪いのか

無理な注文をできるだけ叶えてくれた不動産や

(新築と清掃直後の部屋は不可、最上階角部屋、洗濯機は外、スマートメーター不可)

私のスキルを買ってくれた派遣会社

(その後コロナ切りに遇うが常連のお客様が募集店舗を教えてくれた)

のおかげで私は生き延びた

 

あの言葉は

発作で嘔吐し倒れている時、四肢がマヒし職場の人に申し訳なく思うとき、残高が底をつきクレカの引落が間に合わなかった時、窓を閉めても柔軟剤が侵入する時…いろんな時に心の支えになった

 

…が

支えにしなければならない位絶望的な時期が数年続いた間に

「いつか会えたらいいな」ととんでもないことを思いはじめた

決して実現しない夢だから忘れようと思っていたはずなのに

 

その失礼な考えが浮上する度に私は頭の中で言い聞かせて徹底的につぶした

 

 

会えるわけないだろうが、そう思わない為にあんな準備して出てきたのに

あんたがそう考えるのは依存だ、会ってまたすがるのか、生活の面倒を見てもらうのか、ヒスの相手をしてもらうのか

あの頃に戻りたいと願ってしまうのは、思い出補正がかかって穏やかで美しい出来事だけを思い出しているからだ、だから戻れるなんて甘えたことを考えるのだ

2018年を思い出せ、自分がどれだけ苦しんで、相手をどれだけ苦しめてきたのか忘れるな

自分の都合の良いように過去の事実を脚色するな

 

 

そうやって「いつか会える」なんて思いを殺してきたはずだったのだけど

 

トイレの世話をする人が飼い主である

 

この一言が私を本当に元に戻した

自分が甘かったと気づかせた

 

 

私は家計を担うものとしてほとんどの買い物を担当し(通販以外の生活用品)

家計簿をつけ(だから一人で暮らせば破産しないことを証明できた(当時の世界情勢では))

家庭菜園猫草の世話、網戸の張替え、各種DIY、防災対策、猫の疾患の管理(飲水記録や体重管理、通院、グッズや食事薬の管理、持病の記録と歯周病予防など)他、名前のない家事を行ってきた

洗濯、炊事、風呂場は分担した

でもそれは化学物質過敏症により崩壊した

 

使える洗剤、容器、受け付けられる食品、行くことのできる施設…あらゆることに制限がかかった 当然一緒に暮らすものにも不自由を強いた

最後の3年間は

ローンを払い終えたばかりのマンションを売って引越しまでさせた

 

病の悪化、化学物質頼りの便利な生活から一変した不自由な日々、それに加えて近所の騒音と私の神経悪化がどんどん優しい人を壊していった

フルタイムで仕事をしている人にさらに家事の負担を強いた

それなのに私が職場で発作を起こしたら迎えにまで来させたのだ

 

 

話がすこしそれた

確かに私は夫と飼い猫の暮らしを支えてきた時代があった

発症後にそれは徐々に不可能となり、離婚することでついに無になった

 

そんな私が

もう一度会えたらいいな どころか

置いてきた猫を恋しがっているのだ

 

 

 

優しいあの人のペットを飼う時のポリシーは

「トイレの世話をする人が飼い主です」

 

 

勿論私は一切やらなかったわけではないが

それは

あの人の帰りが遅い時や泊りの時のトイレチェック

トイレ外に敷き詰めた段ボールの交換(こんなのは毎日行う事じゃない)

たまった猫砂の処分(これも燃えるゴミ捨てのついでに丁度たまっていたらする程度)

そんなことは毎日やらねばならない大事な作業ではない

 

トイレの世話をしているとは言えない

ごみの分別、ゴミ袋の補充ゴミまとめをしないで外に捨てに行くだけでゴミ捨ては自分の担当だと言っているようなものだ

 

 

家出をして私は飼い主ではなくなった

のではなくて

化学物質過敏症を発症した10年前

既に私は飼い主ではなかった

 

同じく

 

助け合えず夫婦としてやっていかれないから離婚して夫婦ではなくなった

と思っていたが

離婚の数年前以上前から

既に私達は夫婦ではなかった

 

 

家出前から夫婦でも飼い主でもなかった自分が

優しいあの人に「無理だけどいつか会えたら」などと失礼なことを思い

虹の橋のたもとに旅立った猫を思って泣くのは間違いだ

 

 

引越し先で猫の写真を沢山飾った、財布にも入れた

でもそれは私の猫ではない

 

 

咳をしても一人

そんな狭いワンルームのあちこちで見かける写真に挨拶をしていた

今、あの愛しい猫を思っていいのは優しいあの人だけだから

私が日常であの猫の事を考える回数を減らさねばならない

6年数か月前にあの人が私の事を思い出さないように腐心したように

こんどは私があの子を思い出さないようにする

 

今日全て剥がした

 

 

虹の橋の入口に

雨降り地区と呼ばれる場所があります

そこは

現世に残された者たちの別れた者を思って泣く涙が

冷たい雨となって降る場所

そこに佇む動物たちは別れた者たちを想う寂しさを感じながらも

やがて温かい日差しの中へ飛び出していきます

再会できるまで満ち足りた気持ちで過ごすのです

 

しかし中には

冷たい雨に何年も打たれて凍えているこもいます

ずっと悲しんでいる者と同じ悲しみを

その身に受けているのです

 

虹の橋は

残された者たちの幸せと愛に満ちた思い出で作られています

残された者は別れの悲しみだけにとらわれないでください

旅立った動物が残していったのは

別れの悲しみだけではないのです

 

(虹の橋 の3つあるうちの一つ「雨降り地区」より)

 

 

雨降り地区に汚れた雨はいらない

優しいあの人の純粋な涙だけでいい

頭に降りそそぐのは優しいあの人の贈った桜の花びらや鰹節でいい

思い込みとエゴで腐った花なぞいらない

 

 

私の記憶を消すことは不可能だが、無意味に思い出させる写真や事柄をできるだけ周囲から減らす為、私に出来そうな手は打っておく

 

 

どうか二人がやすらかであれと心で思うことだけ

会いにはいかないからそれだけ