引越し、新しい街、新しい住宅地、新しいショッピングセンター、そして父の夢…色々思い出の詰まった場所がまた一つ消えることを知り、自分の方が寿命が長いことが恨めしく思う いきもののはなし
2025/12/19追記:東急100年史 「第9 章 都市施設の整備充実 4 大型商業店舗の展開 沿線各地につくられた大型商業店舗」において「マル八青果」の記載があった
本当はショッピングパークについての話と思い出を1つの記事にする予定が
余りの文の長さに慄き分割した(いつもの事だ)
ショッピングパークの歴史より思い出が先に記事になっちゃったのは
みゃうまつもの愛の深さゆえ(チガウ
時間が許すなら東急宮前平ショッピングパークの歴史についても書きたい…
みゃうまつもの東急宮前平ショッピングパーク関連記事
東急ストアとのお別れ
東急宮前平ショッピングパークの閉館とその影響、住所表記、「宮前」を冠する混同しやすい商業施設等、徒然なるままに
この記事です
東急宮前平ショッピングパークにかつてあったテナントを記憶にある物だけご紹介
そして、人生の一部を東急宮前平ショッピングパークで構成されたいきものによる重すぎる思い出と大きな感謝状
宮前平ショッピングパークと勝木書店KaBos宮前平店のあった
「川崎市宮前区宮崎6丁目9」の不可解な枝番について
みんなが違うこと言ってて混乱しつつもまとめた備忘録
勝木書店 KaBoS宮前平店閉店に際し
店舗外観写真、閉店の理由、思い出
そして、みゃうまつもがお世話になった本屋さんについて綴る
C棟を残して解体される「宮崎6丁目ショッピングパーク地区」この
東急宮前平ショッピングパークとKaBos宮前平店跡地に何ができるのか、できないのか?についてと
こうならいいな、の夢物語
勝木書店KaBos宮前平店解体工事
宮前平ショッピングパーク工期延長とその理由
歩道封鎖について
宮前平ショッピングパーク今昔物語
閉鎖直前のテナント & みゃうまつもの記憶にある初期のテナント
2025年2-3月に確認できた店舗と
当時小学生だったみゃうまつもが覚えている初期のお店
A棟

1階
東急ストア宮前平店
(2002/10/3オープン 2025/2/28閉店)


*開業時は宮前平東急バラエティストア(1978/10/6オープン 閉店年月日不明、その後紳士服店→東急ストアへ)
2階
キャンドウ東急ストア宮前平店
(オープン年不明 2025/2/28閉店)


*オープン時は集会場みたいな感じだったような…バザーとかの催し物、制服の採寸会場などの記憶が
と思っていたら記事作成中にC棟にあったパン工房ひよこのサイト内の開所を祝う会の記事にて
○日時 平成12年7月20日 午前11時から午後2時 会場 東急ショッピングパーク内 東急レシピ 2階 の一文を発見!
やっぱり集会場はあったんだ!
B棟1

1階
カレーハウス CoCo壱番屋 東急宮前平ショッピングパーク店
(2015/5/30オープン 3月26日移転閉店(公式サイトリンク切れ))
LACTIVE宮前店
(2017/1/24オープン 3月22日閉店予定(公式お知らせリンク切れ))


*オープン時はここB棟1の1棟まるまる三井銀行とATM
ココイチ側が正面入口でLACTIVE側にATM入口があった
銀行撤退のあと暫く空き店舗、後にローソンが入った(2014年頃まで)
2階
エニタイムフィットネス
(2018/05/31オープン 2025/3/27 14:00移転閉店)


*オープン時はここ2階も三井銀行で、多分今話題の(ヲイ) 貸金庫とかがあったと思う 銀行撤退後に居酒屋が入っていた時期もあった)
B棟2

1階
ラーナイ・ロア
(2012/9オープン(インタビュー記事リンク切れ) ダンススタジオ、カフェ→テイクアウト専門店、雑貨 カフェは2013/2オープン)


*最初はサンジェルマン(多分開業と同時期 閉店年月日不明 2002/10/3の東急ストア宮前平オープン時に店内にできたサンジェルマンのショップ&カフェはここからの移転なのか?)
閉店後にベビー用品店?になった時期もあった
2階
ラーナイ・ロア
(ダンス教室 2012/9オープン(インタビュー記事リンク切れ) この2年前同場所にオープンしたのがフラダンスの教室 マープアナ・フラ・スタジオ)


*開業時は石田歯科(1978/10開院 2008/8閉院医療情報サイトリンク切れ)
B棟3

1階
ポニークリーニング東急宮前平ショッピングパーク店
*オープン時はホビーラホビーレ(多分開業と同時期 閉店年月日不明)


リラクゼーションスペース創健美
*オープン時はJoy美容室(2022/3/25たまプラーザ店と統合閉店)


宮前平薬局
(後発隊だったと思うがオープン年月日不明 2025/3/26移転閉局)


サーティワンアイスクリーム宮前平店
(1987年オープン 2025/3/25閉店)


2階
宮前つばさクリニック
(2000年8月15日開院(法人化は2001年6月1日) 2025/3/18移転閉院)


BE studio東急宮前平プラザ
(オープン年不明 2025/3/27移転閉店 4月にC棟へ
ベネッセグループ入り(2018年)する前のこども英会話のミネルヴァ時代からある
これの前は主婦の友社 TOMA/TOMA教室宮前平校、こども英語クラブ 赤ちゃん能力開発教室キンダークラブ の看板がある事が2009/8のgooglemapストビュで確認できる)
*開業時のB棟3の2階はレストラングリーンヒルだけだった…と思う(閉店年月日不明)
ここにあったグリーンヒルは第二店舗で、本店は宮前警察署向い⁂に1973年オープン、2010/6/8閉店)
⁂グリーンヒル本店開店当時は宮前警察署どころか区役所もショッピングパークもなく、お店の目の前はすすきそよぐ原っぱで、坂の先にある富士見台小学校(1972創立)の児童にとって格好の寄り道スポットだった 因みに富士見台小学校は私の世代に超マンモス校となり、宮前平小学校(1980創立)と分離する


C棟(営業中)

C棟は小さい店舗が複数入り、AB棟に比べて結構入れ替わりも激しい
…ので、間に存在した店舗がよくわからない
キッズナーサリー宮前平
*開業時時は八百屋(グリーンハイツ北口商店街にあった八百屋「マル八青果」(閉店後居酒屋→現在空家)さんの支店だったと思うが名称失念…マルハ青果で合っていたか?)
2025/12/19追記:東急100年史 「第9 章 都市施設の整備充実 4 大型商業店舗の展開 沿線各地につくられた大型商業店舗」において「マル八青果」の記載があった
『出店し た主なテ ナントは東急バ ラエティストアと三井 銀行である。 また戸割店舗にはサンジェルマ ン、 ジョイ美容室などが出店した。分譲店舗の出店者はマル八青果、栄友堂、ユニオン電気、 北川園などであった』


栄友堂
*多分昔から残るのはここだけ
以降はみゃうまつも川崎出奔後の店舗なので名前しかわからない
ロボ団宮前平校(2018/04オープン)
PIENION(2021年4月頃オープン)


買取専門店ひとしあ(2020年12月10日オープン 閉店年月日不明だが2025/02/28にはまだ内装が残っていた)


ニューデリー宮前店(2020/12/28オープン)
公文宮前区役所前教室(ニューデリーの上 2021/6オープン)


ペンギンカフェ(2023年6月オープン)
*ペンギンカフェの場所は昔パン工房ひよこと思われる⁂(2000/4/1設立、5/21オープン 閉店年月日不明) 開業時は写真館だったと思うがはっきりした記憶がない
⁂パン工房ひよこの場所はサイトの写真①-③より推定
②2000年撮影の写真背景はA棟工事中の壁(惣菜部門スペースのガラス壁とその上の換気用窓の枠が見える)


その他C棟に入っていたが現在閉店しているのが
クリーニングサンファミリー
*開業時からあるが、閉店年月日不明 釣り看板は残っている(2025/3/18には撤去されていた) 結構前から何かの事務所になったようだが現在もそうなのかは不明


花屋
*開業時からあったと思う、閉店年月日不明 たしかフルールいき という名称だったような その後美容院Nap→別テナント→空室)
一部の店舗はgooglemapストビュで2015/03まで梶ヶ谷菅生線沿いのテナント表示に載っている(右1番-3番目)
2016/10もサンファミリー、ひよこ、Napだと思うが不鮮明 2017/9以降はこの表示板が新しくなり、C棟店舗の名前は全部消えた
あれれ~?
公称21店舗(オープン当時)なのに十数店舗しか思い出せない
初期にあったお茶屋さんとかっていつなくなったっけか…
途中高齢者コミュニティスペースっぽいのもあって消えたよな…
つか、あそこに21店も入るか⁈C棟も含めてしかもC棟2階も勘定に入れないと無理だろ?あれ?じゃあやっぱC棟はショッピングパークなんじゃね?(謎が謎を呼ぶ
宮崎6丁目のあの場所にお店がないと…
東京に来て実感した事
宮崎6丁目のあの場所に店がないと不便
みゃうまつもが今住む東京某所は
道のりで
150m内のスーパー:1軒(平坦)
600m内のスーパー:+2で計3軒(平坦)
150m内のコンビニ:2軒もある(平坦)
一番近い100均:600m(平坦)
奇跡的に全て坂がない
過去の記事と同じイラストだが

仮にショッピングパークのすぐ裏手に住む人の場合
道のりで
200m内のスーパー:なし
250m内のスーパー:1軒
いなげや(平坦)
600m内のスーパー:1軒
生活クラブ生協宮前平デポー(会員制 坂がある)
1km内のスーパー:2軒
成城石井(750mおセレブ 心臓破りの坂がある)
東急フードステーション(900m 心臓破りの坂がある)
150m内のコンビニ:なし
(セブンイレブン川崎宮前店は350m平坦)
一番近い100均:
ダイソー 宮前平駅前店(850m 心臓破りの坂がある)
殆ど坂があるし100均絶望地帯
これは今後
世代や家族構成によってはライフスタイルががらりと変わるんじゃなかろうか
2017/01にいなげや前にドラッグストア
クリエイトエス・ディー川崎宮前区役所前店が出来たのは人によっては幸
加工食品、酒、冷蔵冷凍食品、日用品の一部を扱うのでミニスーパー並の利便性がある
但し10:00-21:00 社会人の帰宅後の買い物にはちと厳しい
(がドラッグストアなのでMCSの人は使えない…みゃうまつも然り)
超昔ばなし
2009年10月にプラウド宮崎台ができる前に建っていたマンションの1階は
スマイルという八百屋だった
ショッピングパークからは1.2㎞離れているがほぼ平坦、安いし比較的広い店でとても便利だったんだけど今はもうない…これも痛いな
みゃうまつもの家計簿データには2007/9/28ごぼう購入、9/16七味唐辛子閉店セールで購入とあるので2007/9末閉店だったのかも…というか19年前かーい!
今は通販も宅配も進化しているから 人によっては
多少スーパーが遠くても不自由ないのかもしれない
しかし
宮崎6丁目、土橋7丁目の人にとって
東急宮前平ショッピングパークで世界が成り立っていた時代が確かにあった
みゃうまつもはその一人だった
ショッピングパーク目の前の宮前区役所や市民館、図書館、消防署、警察署…ここら一帯全部すすき野原だった時代に移住してきたんだ儂
それで一家スギ花粉症!
2025/11/18追記:2025/10/28現在も跡地をどうするかは公表されていない
ショッピングパーク解体工事 来年1月まで工期延長 宮崎6丁目自治会
宮崎6丁目自治会 広報・回覧 2025年10月28日(pdfファイル) より
googlemapに写真をUPしました
東急宮前平ショッピングパーク閉鎖前
○宮前平ショッピングパーク2025年2月-3月
東急ストア以外のB棟やC棟、関連(独自の解釈w)施設入り
閉店後のA棟の写真の他
番外編(室外機とかシャッター用水圧解放装置とか受水槽とか…)
いなげやとか富士見坂もあるでよ~w
東急宮前平ショッピングパーク閉鎖後
○閉鎖後の宮前平ショッピングパーク
2025年4月から解体工事が始まり
封鎖区域は高い塀に覆われた
7月来訪時にはB棟123ほぼなくなっていた
目の前にそびえる壁と向かい合って営業するC棟テナント
ショッピングパークからの明かりもなく暗くなったC棟前の通路と奇跡の明かり
敷地内ぎりぎりに設置された塀が圧迫感を醸す長尾宮崎線の歩道
トマソンが解放されたショートカット
閉鎖直前と解体作業開始時、そして夕方と夜、それぞれの風景の比較
上記マップより



順に①(閉鎖前)2月28日 ②4月4日 ③7月14日区役所が見える
本命だが長文蛇足:東急宮前平ショッピングパーク46年半の思い出
みゃうまつもの世界が宮前平ショッピングパークで作られていた時代
以下3800文字は
みゃうまつもが子供のころから大人になるまでの思い出話だけ
写真も手元にない時代の記憶だけ
映像、画像で記憶を呼び覚ますことができないが、あの頃の自分を作った彼の地
その記憶を、風化する記憶を心に留めるための
自己の覚書的な何か
東急宮前平ショッピングパークとみゃうまつも
初めての通帳は三井銀行
両親のメインバンクだった 自然な流れで私の最初の口座も三井銀行だ 我が家は「お年玉は貯金するからね」=「本当に貯金」という誠実な両親だったので、この口座にきちんと入っていた 取引先銀行でもあったのだろう、両親が銀行の奥で難しい話をしている間、外の階段前の植え込み近くやスロープに座って待っていたことがある しばらくすると母だけ出てきて一緒にバラエティストアで買い物をするのだ
小学生の頃 母と待ち合わせをして帰宅する前には八百屋さんに寄った
(そして母は野菜をのせて自転車で、私は母に鞄を預けて並走) バス停から一番近い所(C棟入口)に位置していたこともあり、多くの人が通りかかってにぎわっていた 現在ベンチがあるところまでお野菜が並んでいた時もあったと記憶している 全体的に品物が置かれている高さが低く、小学生の私でも楽々手に取れるのは楽しいが親にとっては恐怖だっただろう(いちごをおとすな!
中央広場側の扉から入った母が、きれいにセットされた髪で出てくるJoy美容室
自力で風呂に入れなくなった時、父に抱えられて向かったJoy美容室で洗髪だけしてもらったことがある 伸縮ホース付シャワー台なんてまだ自宅に存在しない時代、日常の介護に追われる父母には洗髪介助が負担になっていた上に、私はようやく伸ばす許可を貰えた40㎝以上の長髪を切るのを嫌がり、介助素人の親を困らせていたのだ そんな困った客にも嫌な顔せず対応してくれた 私は小学生だったというのにお姫様のような贅沢なひと時を2度も経験したのだ
ホビーラホビーレは生地メインの手芸店だった
小学生の私は編み物、刺繡、フェルト小物の他にペーパーフラワーもやっていたから、手芸用品は東急コーチに乗ってペーパーフラワー用品も扱っているさぎ沼とうきゅうで一緒に購入しており、このお店に入ったことは一度しかなかった それでも「B棟3の一番手前」という三面ガラス張りの特徴を活かし切った狭い店内には魅力的な布地がたんと積んであり、タペストリーやキルト、リースなどの作品が飾られた手芸好きにとっては夢のような店内は外からのぞき放題だった 店員さんが沢山の素敵な布地に囲まれて黙々と作品を仕上げるのを三井銀行横の階段前から眺めては、いつかあのリバティプリントでバッグを…と夢見ていた(洋服が作れるようになるのは中学2年になってから)
平日に汚してしまった中学の制服を特急で仕上げてくれたのはサンクリーニング
今サーフボードが飾られている場所が受付で、その隣が作業場だった 時々作業場の窓が開いていて、業務用アイロンを使うおじさんの姿が見えた 初めてのクリーニング屋がここだったから、ずうっと先までクリーニング屋さんには作業場が併設されているものと思っていた 大人になり超狭のチェーン店を見た時、どこで洗濯するのかと疑問に思った
高校に入り 最初に作ってもらった眼鏡は栄友堂
高校の先生に「ランセルなんておしゃれですね」と言われるまで自分がどれほど高級なブランドフレームを買ってもらえたのか知らなかった 大学ではコンタクトにしたが、当時はたまプラーザ店しかコンタクトレンズの扱いがなかったため、お店の方にたまプラーザ店を紹介してもらった(後に宮前平店も取り扱いを開始したが現在はまたやめてしまった) 毎年届く年賀状はお年玉くじの番号で眼鏡の割引が当たる新春セールの案内を兼ねており、眼鏡の新調を「よし!正月まで買うの待つぞ!」と心待ちにしたものだ(3等でもかなりお得に買えた)
洗練された店構え、そして店内、オシャレな什器と上品な商品プレート、落ち着いた色合いの制服は、みゃうまつもの抱いていたパン屋さんのイメージをひっくり返した
トングをカチカチ鳴らしてパンを威嚇するお作法、デニッシュというリッチなパンの存在、ミルフィーユという響きすら美味なる存在を私に教え、ミートパイでは甘いだけのパイの概念を折パイ生地のようにサックリと崩し、穴の開いたケーキタイプだけがドーナツではなくてよとばかりにイーストドーナツにはその捻ったスレンダーボディで迫られ、ニューヨーカースティックではアンパンやクリームパンのような甘いパンだけが特別なパンではなく嚙みしめるほどに素材のうまさが味わえるのもうまいパンの醍醐味だと大人向け嗜好を提示し、お高級イメージのフランスパンを身近なパンに近づけ、サンドイッチは作るものでもあるが買うものでもあるという新境地を示し、レトルトのスープという概念を初めて教えてくれたのはサンジェルマン
遠足のお菓子を同級生と買いに行く時は東急バラエティストアといなげやを併用(東急にしかないものもあるが全体的に高い)
この時だけは子どもだけで入店することを親に許してもらえた 部活に疲れて帰宅する中学時代、梶ヶ谷菅生線沿いにバラエティストアが見えると「うちまであと半分だ」と気合をいれ、重い鞄を背負い直すのだった 高校では通学路から外れたためこの道を通らなくなり、大学時代に閉店後の帰宅になり買物か不可能になるまでは本当にお世話になった
東急ストアになったころ
B棟2からサンジェルマンは撤退したが、東急ストアにベーカリーとカフェを併設し、スーパーで喫茶店気分とは何て贅沢なんだろうと感動した 結婚して少し離れてしまってからも自転車で通った 買物の記憶はバラエティストア時代より結婚後の東急ストアの方が強く残っている ハーゲンダッツ新商品はここでしか手に入らなかった時代もあった 恒例の数量限定「勝って値シール」の日は夫婦で並んで2枚(20個分)ゲットし、この時には少しお高いものを買う、余ったシールはゲットできなかった方に譲渡するまでがセット(なんでも1点20円引になるので、安い商品程コスパがいい=ブラックサンダーが一番売れた、というのは関係者からのお話)
ウオークマン(発売当初は最高級品)の貸し出しサービスがあり、カセットテープを持参すると治療中に好きな音楽が聴ける斬新な石田歯科は、受付でムーミン谷の地図と初期アニメ版スナフキンのでっかいジグソーパズル2点が見下ろしていた 受付後ろのガラス棚にはネズミの骨格標本やぼのぼののカレンダーとかペーパーフラワーとかそらとぶくまちゃんとかここみゃうまつもの趣味満開 受付で頂いた真夏の麦茶おいしかったです
グリーンヒル第二は
本店の緑に囲まれたひっそり隠れ家的な雰囲気とは全く違い、高い場所から真新しい区役所が見渡せる広く明るく開けたレストランで、客のさざめきがプリンスホテルのラウンジのようだったことと、サーロインステーキにはパセリの練り込まれたバターをのせ、クレソンが添えられることを知って勝手に大人な気分になったことを思い出す 本店でのお気に入りはチキンバスケットとコンソメスープだったが、この第二での私の気に入りはとにかくサーロインステーキとコーンスープだった(ちゃんとクルトンとパセリが浮いてるやつ)
二俣川の運転免許センターで取得した初めての運転免許証は、まだ大きいサイズだった この時の写真はショッピングパークの写真館で撮ってもらった
その写真はもう手元にないが、歴代免許証は宮前警察署でパンチングしてもらい、必ず持って帰ったので今でも写真を見ることができる そこには化粧も知らず撮影向きの顔を作る事すらできない幼さの残った自分の顔が永久に封じ込められている
誕生日には父がサーティーワンアイスクリームでアイスケーキを予約してくれた
大学合格の時には店員のお兄さんがお祝いにWコーンをおごってくれた 今では名称の変わったバラエティパックは6,12,18個全部つながった透明プラパックで、冷凍庫に入れるのが大変だった 鷺沼まで行かずに済むので帰宅中に溶ける心配がなかった 家族みんなで好きなフレーバーが異なるので、1つは定番のお気に入り、1つは新しい味、とひとり2種類を選ぶのだがこれが大変難しく、ケースの前で長考するも、いつもの事だと店員さんが声をかけずに待っててくれるのが嬉しかった 他のお客さんより多めに試食させてもらえたのも時効時効
結婚式では
東急ショッピングパークの美容院でセットをし、
東急ショッピングパークの花屋でブーケを作った
私は知っている
B棟3やB棟2の壁があんなに黄色やピンク色ではない時代も
駐車場が舗装されず、トマソンがトマソンではなく、発券機がない時代も
B棟3の前に立つ店舗一覧がある場所に SHOPPING PARK と書かれたモニュメントが立っていた時代も
パーク内の街灯が白の無機質デザインではなく焦げ茶のシックでレトロなテイストだった時代も
全て 知っている
1階の数段の段差には必ず全て横にスロープが付いていたのは小学生当時は不思議だったが今ならわかる
外見や中身が多少変わってしまったがこうして変わらぬ(というか変えられぬ)部分があるからこそ
そこに懐かしい思い出の残渣を垣間見ることができる
みゃうまつもの人生の一時期は確かに
東急宮前平ショッピングパークで成り立っていた
C棟が残っていても、A棟B棟のテナントが万が一復帰したとしても
私を形成したショッピングパークは戻らない
解体されたショッピングパークには、変わらぬ(変えられぬ)ものがもうなくなっているから
思い出のつまったあの
母を待った広場も
見上げれば目に入るトマソンも
柵の解放された連絡橋も
がっしりとした階段も
開くことのない2階の扉も
個性的な半円型のベンチも
レンガで丸く縁どられた樹木の根元も
ほんのわずかなスペースに出来たジャングルも
子供好みの建物の隙間も
ゆるやかなスロープも
看板を隠す巨木も
乗り越えられそうな柵も
黒で統一されていたシックな吊り看板も
屋上から見る総合庁舎も
皆なくなる
これからは栄友堂だけが思い出のよすがとなるのだ
宮前平ショッピングパークという名称が今後どうなるのかはわからない
冒頭に紹介したタウンニュース2025/2/14の記事と
もう取り壊されたA棟の壁に貼ってあったA4サイズの告知しか情報がないから…
(これをUPする頃には何かしら進展があるだろうか
私の物心がついたころに開業し
記憶がおぼつかなくなる前に閉鎖された
宮前平ショッピングパーク
その46年半は
アミニティプラン多摩田園都市によって進められた商業施設開発の一つの終焉
というだけではなく
私を構成していた何かの消失でもあった
思い出のこの施設に労いと感謝を
東京の地から 愛をこめて
みゃうまつも
三年以上やっているのに知りませんでした(オオウ
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