「先生も祖父母も第二次世界大戦を知る」時代に小学生だった いきもののはなし




みゃうまつもが小学生の頃
おじさんとお爺さんの間位の容貌の男性が
所謂サファリルックを纏って教壇に立った
非常勤講師としていらした先生だった
図画工作と理科と社会の担当だった
外に出れば自然に詳しく
写生の授業中でも丁度いい教材があれば
急に理科の授業が始まる
わんぱく我儘小学生に物を教えるのがとても上手で
週番目標も他の先生とは一味も二味も違ったおもしろさがあって皆守った
その先生はその年齢通り
戦争の経験者だった
授業中にその話もしてくださった
熱帯の地でマラリヤにかかった事
寒冷地では指が3本の特殊なミトンを使う事
(親指、人差し指、その他。引き金を引くため)
そしてある日
学生服を着た色褪せた大判の白黒写真が入った額を
持ってこられた
「これは、若い頃の私の写真です
戦争に行ってしまったらもう写真撮影は出来ないし
体が日本に戻ってこれるかもわからない
戦争に出る前にお葬式用の写真をこうやって撮るんですよ」
先生は学徒兵だったのだろうか
学校で見ているいつもの口角の上がったニコニコの笑顔のない
うつろ といった表情の学生さんが
額の中にいたのを覚えている
私の祖父は南の島の工場で働いていた
仕事の都合で帰国の船を一便遅らせた
乗る予定だった船は撃沈されていたのを
港についてから知った
長崎を通り過ぎた翌日に原爆が落ちた
私は
兵士として日本を旅立った人
兵士ではないが日本から離れていた人
二人の戦争体験を聞く機会に恵まれた
勿論聞いた内容が彼らの全てではない
先生も、祖父も
幼い子供を極端に怖がらせず
且つ
戦争を二度と起こしてはいけなことを理解してもらう
そういった内容だったと記憶している
皆に好かれていた先生の思い出は沢山ある
この時期に思い出すのは
私の描いた鶏の絵を
「生きている」と評してくださったことと
3つ指のオリーブグリーンのミトン
そしてあの
光の無い目でこちらを見ている
遺影にならずに済んだ学生さんの写真
三年以上やっているのに知りませんでした(オオウ
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