みゃうまつもは穏やかに暮らしたい

化学物質過敏症みゃうまつもの雑記帳 言いたいことも言えないこんなおからだじゃ~

「はいからさんが通る」と「現代の犍陀多」~防災初動対応

これは漫画「はいからさんが通る(講談社 大和和紀)」についてのネタバレを含みますが、作品の感想や解説記事ではありません、と前置く いきもののはなし

 

 

大和和紀「はいからさんが通る」

はいからさんが通る とは

はいからさんが通る 大和和紀

週刊少女フレンド(講談社)にて

1975年-1977年連載の少女漫画

www.kodansha.co.jp

 

時は大正、花村紅緒、17歳。明るく元気いっぱいのハイカラ娘。恋も結婚も自分で選びたいと夢見ていたある日、伊集院忍という許嫁の陸軍少尉が現れる! 自分のじゃじゃ馬ぶりをいつも面白がる笑い上戸の彼が気に入らない紅緒は、この結婚を破談にしようとして!?

『はいからさんが通る』既刊・関連作品一覧|講談社

 

ロマンスあり、シリアスあり、ギャグあり、当時の風俗や世相の表現あり、時代背景の一言解説付き、中だるみなく一気に読める(単行本8冊だけど)

1978年にアニメ化されたが

モスクワオリンピックの放送枠の関係で打ち切りが決定し、とんでもない所で話が終わったのを

当時の視聴者は決して忘れない

 

はいからさんが通る初代アニメの最終回の衝撃を当時の視聴者は忘れない、最後のナレーションにどうすればいいの?と泣いた

あの最後のナレーションだけは許せない

 

この項では少々原作のお話を紹介します

ヒロインの父、花村少佐と柳橋の芸者、花乃屋吉次

作品の感想記事ではないので

漫画への深い愛や初代アニメの素晴らしさとそれ故の悔しさはおいといて

 

 

クライマックスにおける

主人公 花村紅緒 と

世紀のド恋愛相手 伊集院忍 

衝撃の邂逅と脱出

 

…についてでもなくて

 

 

主人公の「父」 花村少佐 と

主人公の恋愛相手の

「所属していた軍の友人と二世を誓った仲だったが、その人は戦死してしまい、後を追おうとしたところを主人公の恋愛相手に助けられてから少し彼に惚れてしまったが、主人公と会ってからは主人公と彼の仲を応援するようになる柳橋の芸者」 花乃屋吉次 の

衝撃の邂逅と脱出とまさかの展開

 

についてちょっと触れる

 

 

「はいからさんが通る」のクライマックスの始まりは「1923(大正12)年9月1日11時58分」

 

「はいからさんが通る」に描かれた「その日」

9月というのに変に暑い日の午前

藤枝蘭丸は複数の蛇の死骸を見つける

 

そして昼前

 

紅緒の運命がまさに今決まろうという時

大きな衝撃(物理)に見舞われる

(その少し前に地鳴りのようなものに気づく描写がある)

 

大正十二年

九月一日

午前十一時五十八分

関東

大震災!

(原作の表記)

 

紅緒が逃げ遅れ、花村少佐が救出に向かおうとするも

避難する群衆の波に流されてしまう

 

そして偶然にも吉次と出会う

辺りには火の手が上がり危険な状況だった

 

花村少佐は戸板のようなものを立て

手に火傷を負いながらも

火の粉から吉次を守り通す

 

 

原作では

 

大正十二年九月一日

火炎は

なお 三日のあいだ

帝都の空を

こがし続けた……

 

とある

 

 

1923(大正12)年9月1日11時58分 大正関東地震と関東大震災

大正12年(1923年)9月1日11時58分に、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大地震が発生しました。この地震により、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6を観測したほか、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲で震度5から震度1を観測し、10万棟を超える家屋を倒潰させました。また、発生が昼食の時間と重なったことから、多くの火災が発生し、大規模な延焼火災に拡大しました。

「関東大震災100年」 特設ページ : 防災情報のページ - 内閣府

 

用語解説

大正関東地震(地震の名前)

 震源、規模は上記引用の通り

 関東地震、関東大地震とも呼称されるが、元禄関東地震(1703)というのもあるので「大正」をつけて区別する

 

関東大震災(地震災害の名前)

 大正関東地震によって生じた災害

海岸低地の掘削から推定された昔の関東地震の発生年代 萬年一剛(神奈川県温泉地学研究所)神奈川県温泉地学研究所観測だより 第 68 号,2018(pdfファイル) より

 

震災と地震の関連性について 関東大震災(1923) 大正関東地震による災害 阪神淡路大震災(1995)兵庫県南部地震による災害 東日本大震災(2011) 東北地方太平洋沖地震による災害 

 

 

単行本7巻表紙からわかる「火の手」

先述のクライマックスは単行本6-7巻に収録されており

7巻の表紙は9月1日の主人公たちが描かれている

今回注目するのは背景の方で(ゴメンナサイ)

 

新装版の絵は小さい上トリミング&淡色加工なのでわかりにくいが

当時の単行本をみると

 

燃え盛る炎

上空の黒煙(多分)

 

が強い色調で描かれており

二人の表情と相まって

それまでのストライプ基調の背景とはテイストが全く違うのだ

 

 

↓こちらのブログの方が当時の単行本の表紙の写真を載せていらっしゃいます

大変貴重な資料です

www.digitubby.com

 

 

 

関東大震災の「火災」→その後の標語へ…しかし
ご了承くださいませ
よろしくお願いいたします。

 

関東大震災の被害は

勿論火災のみではありません

 

 

『西洋建築を模した組石造り・レンガ造りの建物は関東大震災で大きな被害を受けており、大正13(1924)年に市街地建築物法(現建築基準法)が改正され、耐震計算が義務づけられるきっかけとなりました』


『見過ごされがちですが、関東大震災は震源域が相模湾内であったことから、伊豆半島、伊豆大島、三浦半島、房総半島の海岸には津波が押し寄せています。津波の高さは伊豆大島や静岡県熱海市で最大12m、千葉県の現館山市で9mに達し(内閣府資料)、早いところでは地震後わずか5分で来襲したとされています。』

広報誌「ぼうさい」関東大震災から100年 ~あの時その場所で何が起きていたか~第1回(第106号)(pdfファイル) より 

 

今回は標語と火災の関連についての記事の為

津波と建築物の耐震についての詳細は割愛いたします

 

 

7巻表紙と

花村少佐のエピソードに象徴される

関東大震災における火災

 

 

この火災の被害はて

 

・防災の日の制定

・標語の確立

 

という形で

皆に防災意識と火災の怖さを啓蒙していく

そして

 

「地震だ!火を消せ」

「グラッと来たら火の始末」

 

に代表されるように

昭和の日本人に対して

 

地震→火災防止→身の安全

 

という優先順位を植えつけた

 

…んだが

 

その標語はもう古いから!

 

 

地震だ火を消せはもう古いという事を説明したイラスト

↓こちらに書いたイラストより

myaumm.hatenablog.com

 

 

100年経てば常識も変わる

昨日の敵は今日の友、昭和の常識は令和には…

関東大震災は近代日本の災害対策の出発点となった

その後も防災への対策や技術は進歩している

1995年の阪神淡路大震災後の

「公衆電話災害時の無料化措置」もその一つ

(阪神淡路大震災後に決定し、2011年の東日本大震災が最初の発動となった)

 

 

進化と進歩によって

今までの防災の常識が非常識になったものもある

グラッときたら火の始末

はその最たるもの

 

 

地震の時、机の下は万全ではないことを説明した漫画の一部

個人的にはこの↑

「小学校で習った『地震だすぐに机の下へ』は学校以外では通用しないかもよ」も対策の進歩に挙げたい

↓こちらに書いたイラストより

myaumm.hatenablog.com

 

♪技術の進歩を信じなさい ホレ信じなさい ホレアップデート♪

昔も今も火災は怖い

だから火災の教訓は多くの物事を進化させた

 

はいからさんの時代

燃えやすい建物、家財

外国の真似だけをして耐震はおざなりだった洋風建築

むき出しの炎で行った家事

避難マニュアルは勿論ない

 

それが今

 

火災に強い建材、延焼を防ぐ構造、放水設備の充実

耐震基準の改正、建築基準法の再改正

難燃性素材の開発による、カーテン、寝具、防災リュックなどへの活用

自動消火機能付きコンロ、ストーブ等の転倒時停止機能

通電火災防止機能、都市ガス、プロパンガスの自動停止機能

初期火災マニュアル、防災の手引書

 

これら技術の結晶により

 

グラッときたら火の始末

グラッときたら身の安全

 

に変わった

 

info-faq.city.matsuyama.ehime.jp

 

 

大事なのは

技術の進歩をただ受け入れるだけでなく

自分の知識のアップデートをすること

進化させた人々の努力を無駄にしない為にも…

古い知識は捨てろと表現するイラスト

 

無駄にしない為?

そう

皆の努力を無駄にする人もいるのだ

 

軽視、無視、風化

という形で…

 

 

血のマニュアルを風化させない

参考:3つの大震災の「直接死・行方不名者の数」と、「大きく占める死亡原因」

2011年:東日本大震災

 約1万8千人 (約9割溺死)

1995年:阪神淡路大震災

 約5千5百人 (約7割窒息、圧死)

1923年:関東大震災

 約10万5千 (約9割焼死)

「関東大震災100年」 特設ページ : 防災情報のページ - 内閣府 より

 

 

東日本大震災では

津波に巻き込まれたことによる溺死が殆どである

東日本大震災における死因 東日本大震災関連統計データベース|東北大学 災害科学国際研究所(pdfファイル) より

 

宮城県仙台市宮城野区出花2丁目 波来の地 石碑

宮城県仙台市宮城野区出花2丁目にある「波来の地 石碑」

2018年7月撮影

 

 

阪神淡路大震災では

死因のほとんどは、家屋の倒壊や家具などの転倒による圧迫死である

戦前の木造住宅が比較的多く残存していた地域での死者が多かったとされる

死亡者の9割以上は死亡推定時刻が当日6時までとなっており、ほとんどが即死状態だったとされている

阪神・淡路大震災教訓情報資料集【02】人的被害 : 防災情報のページ - 内閣府 より

www.bousai.go.jp

 

 

関東大震災では

先述の通り家屋の倒壊延焼火災により被害者が増大した

10万5千人の内、本所区被服廠跡だけで4万人強

(しかも焼死者発生時刻は地震から4時間後の16-17時)

割愛したが、津波もあった

 

関東大震災旧東京市の焼死者数と発生時刻

 

『①高震度地域で多数の家屋が倒潰し,
②地震直後の出火が次々と倒潰家屋に燃え移り,
③それが数年に 1 回程度の強風に煽られて大規模火災に発展し,
圧死者に加えて極めて大量の焼死者が発生した,
というプロセスによって生じたものと推定される.』

1923 年関東地震における死者発生のプロセス-1855 年安政江戸地震との比較をふまえて- 鹿島小堀研究室 諸井 孝文・武村 雅之(歴史地震第21号(2006) ) より

 

 

3つの震災は全て傾向が全く異なる

…ように見える

 

 

喉元過ぎても忘れないで~現代の犍陀多

3つの震災は全て傾向が全く異なる

それでも

地震と津波

地震と家屋倒潰

地震と火災

は切り離せない、繋がっている

 

3つの震災は

一つの血のマニュアルになっている

 

多くの人の研究

多くの人の啓蒙

多くの人の努力 そして

おびただしい数の犠牲者の血によって書かれたマニュアルを

風化させたくない、無駄にしたくない

のに

 

 

蜘蛛のたらした糸を

登りもせず

自らの意志で切ってしまう犍陀多がこの世にいるのだ

 

 

 

みゃうまつもが「はいからさんが通る」クライマックスから得たもの

「はいからさんが通る」はとても好きな漫画だ

初代のアニメも大好きだ(それ以外は見ていない)

 

作品の面白さとは別に

あの9月1日のエピソードを思い出すたびに

芋づる式に脳に浮かぶようになったことがある

 

地震の二次災害「火災」の恐ろしさ

地震の初動で思い出すべきはラリサ(身の安全と危機察知)

「地震だ火を消せ」はもう古い

 

平成になってから得た防災の新常識

平成になってから「はいからさんが通る」を改めて読んだ時

偶然にも頭に刻むことに成功した

 

お陰で

自宅において

延焼に繋がる要因を排除する意識を持つようになった

 

一番驚いたのは

数年前に少し大きい地震が起きた時

厨房の火の元確認よりも

顧客の頭上の安全を優先した事

それはもう脊髄反射かと思う位だった…

 

その時みゃうまつもは自分がやっと

地震だ火を消せ

の呪縛から解き放たれたと実感した

そして

「はいからさんが通る」がある限り

これらの意識は風化することはない

と思ったのだ

火災への危機感を失った行為の例としてストーブの上に洗濯ものを干すこととコードを束ねて使用する事を描いたイラスト

 

 

 

新しい常識に乗り遅れずに済むのなら

漫画でも、ドラマでも、小説でも、論文でも

その手段は何でもいい

 

そして

 

現代の犍陀多が一人でも減ることを願う

 

大震災の教訓を忘れ、軽視し、無視するそんな 生存のためにたらされた糸を登ることなく自ら切るような、現代の犍陀多になりたくないというイラスト



 

 

三年以上やっているのに知りませんでした(オオウ

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