さつまいもから竹脇無我を連想する いきもののはなし





さつまいもの歴史はこちらを参考にしました
youはどこから中国に?
中南米からコロンブスによってヨーロッパへ→わかった
でも寒くて不作→わかった
でも植民地では育った→わかった
<この間がわからん>
中国に伝わる→どっから?
中国から日本(沖縄や鹿児島)に伝来→そうかわかった
さつまいもの日と十三里と竹脇無我
一見無関係な3つだが繋がっている(おおげさ紛らわしい
参考
77 川越いもの作り初め(平成13年9月12日) | サツマイモ資料館長日記 | 日本いも類研究会
「貧民養生所記録」順天堂大学古文書研究会1)日本医史学雑誌 第 62 巻第 1 号(2016)(pdfファイル)
さつまいもの日の由来
1987年(昭和62年)に埼玉県川越市の「川越いも友の会」が制定しました。
10月がさつまいもの旬に当たることと江戸時代のキャッチコピー「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」から10月13日を『さつまいもの日』とされたようです。
ちなみに、江戸から川越までの距離が十三里(約52キロ)なので当時の焼き芋屋さんがキャッチコピーとして看板に
「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」と書いていたそうです。
13日は江戸から十三里の川越の距離から来ていた
十三里の川越とは
青木昆陽が江戸でのさつまいも試作を命じられてから16年後に
さつまいも試作に成功した地が
江戸から十三里離れた川越である
川越のさつまいも作りは
下総の馬加村(千葉市幕張)から導入された
下総の馬加村(千葉市幕張)とは
川越の成功からさかのぼる事16年
1735(享保20)年
加藤剛大岡忠助に抜擢された青木昆陽は
クイズタイムショック二代目司会者山口崇徳川八代将軍徳川吉宗から
さつまいも(甘藷)の江戸での栽培試作を命じられる
(青木昆陽はさつまいもについての論文を事前に将軍に献上していた)
そして試作地となったのが先ほどの
・下総国馬加村
(現:千葉県千葉市花見川区幕張町 *馬加(まくわり))
そして
・上総国不動堂村
(現:千葉県山武郡九十九里町)
そしてここ
・江戸小石川の養生園
(現:東京都文京区白山 小石川植物園)
江戸小石川の養生園といえば…
1684(貞享元)年
南麻布にあった幕府の南薬園の廃止を受け
館林藩下屋敷の一部が薬園となり
小石川御薬園と呼ばれるようになった
そして
1723(享保7)年、小石川御薬園に施薬院(養生所)が設けられ
設立の請願書を目安箱に提出した町医者小川笙船が肝煎り(責任者)となった
で、二代目の肝煎りが加藤剛の友人、竹脇無我である
その12年後に
加藤剛に抜擢され、山口崇に命じられた青木昆陽が
竹脇無我のいる養生所と同じ小石川御薬園の東南側半分の場所で甘藷の試作を行うのである…
ほうら
全部つながっているでしょ?
(バカモン

中国にさつまいもが伝わった経緯より
さつまいもから竹脇無我を連想する経緯の方が
わかりやすいよね?ね?(ヲイ

教訓:さんまは目黒に限るがさつまいもはお店に限る
三年以上やっているのに知りませんでした(オオウ
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