5年前の事も20年前の事も上になるのに進歩もない いきもののはなし

もう。か
まだ。か
あっという間に時が過ぎた
最後の電話での会話から7年
永遠に会えないのだと知った時から5年が経ち6年目に入る
私は今50折り返し
その年の父はどんなだったろうか
当時独り暮らしだった私はその頃の父の記憶はあまりない
ただその翌年の事ははっきり覚えている
18年飼っていた柴犬は私の目の前で命の炎を消して旅立った
葬儀が終わり、私が東京に戻った翌日
父は犬小屋を含め一切合切を片付けたという
見ているのが辛い、という事だった
もう両親(私の祖父母)よりも長く一緒に暮らしたから、とも言っていた
泣きそうな、もしかしたら泣いていたかもしれない父を見たのは初めてだった
大きな背中が少し小さく見えた
その翌月
私はがんの宣告を受けた
術後、腕に3本管が刺さっていたら
覚悟してください
両親と自分に向かって医師はそう言った
自宅の片付けもPCの処分も出来ずに死ぬかもしれない
と考えたのと同時に
親より先に死ぬのか…と思った
超特急で検査、入院、オペまで最短の枠をとってもらえたことと
体内にあったいくつかの偶然と
手術が成功した事により
私は父より長生きする可能性が出た
術前と術後に病院に来た父は
小さく見えた先月の父ではなく
いつもの父だった
犬が旅立ち、そしてつぎは子供が…
立て続けに事件が起きて、悲しむ時間すら取れなかったせいだろう
そしてそれから約20年後の2021年
父は私より先に旅立った
あれから5年が経ち
6年目に入ろうとしている
この5年の間で泣くことはほぼなくなった
外で音楽が流れても泣くこともなくなり
昨夏からは自分で音楽を再生する事も出来るようになった
それでも
何度も、何度も父の事を思い出し
その度に私の汚い涙にぬれていないことを願い
頭上には花よりお酒とおつまみが降っているといいなと思う
しかし
傍にいて欲しいとは全く思わない
今の最低な私を見せたくないからだ
20年以上
虹の橋のたもとでずっと待っていた
あの愛らしい柴犬とともに
橋の向こう側に行ったのだと思いたい
そして祥月命日とお盆には
旧型スカイラインに乗って
母に会いに行って欲しい
そこにはきっと
子も孫も遊びに来ているだろうから
東京で泥をすすり乍らおめおめ生き残っているいきもののことは忘れて欲しい