みゃうまつもは穏やかに暮らしたい

化学物質過敏症みゃうまつもの雑記帳 言いたいことも言えないこんなおからだじゃ~

世の中にたえて柔軟剤がなかりせば

これは

2021年3月8に書いたものです

 

 

真夜中

 

父が花と虹の世界に旅立った

 

最後は一人ではなかった

 

連れ添った妻と息子に看取られて

 

笑顔だった

 

 

 

 

私はそのころ

 

仕事をしていた

 

業務改善策について頭の中であれこれ悩みながら

あと30分で業務を終わらせねばと身体はあせってバタバタ走り回っていた

 

 

なんの虫の知らせも私には訪れなかった

 

 

そんなものだ

私はドラマティックな主人公ではないのだから

 

 

この1日前、知人に

「(今までずっと連絡を取っていなかったとしても)会いに行った方がいいよ」と

いわれた

 

私でも他人にはそういうだろう

 

しかしこう返答した

 

 

会いたいか会いたくないかで言えば、絶対に会いたい

会うなら葬儀の時ではなく生きているうちに会いに行きたい

葬儀に行ったところで何なのだと思うから

しかし私は電車にも車にも乗れない

柔軟剤のせいで乗客のにおいやガソリンのにおい

電磁波にも反応する身体になってしまった

周囲に迷惑をかけ、その後数日間、再起不能な体になる覚悟があれば行きたいが

そういうわけにもいかないだろう、職場はもちろん、交通機関の職員に迷惑だ

 

 

 

それでも

 

心の中で

 

もしかしたら行けるのではないか

問題は到着してからの周囲の柔軟剤、室内の洗剤芳香剤消臭剤消毒液

などではないだろうか

着ていった衣服は捨てる覚悟で行こう

酸素缶も持って、でも父には見られないように

絶対に父の前では倒れないようにできるだろうか

何とかならないだろうか

 

とぐるぐる考えていた

 

 

その23時間後

 

父は

 

眠るように旅立った

 

 

 

笑顔で

眠るように

 

と 弟からのメールには書かれてあった

 

 

 

スマホの電磁波に弱く

電話では5分と会話をできない私は

youtubeチャンネル登録をし

自分の言葉を限定公開でUPした

アドレスを弟に託し

父に聞いてもらえるよう

 

 

父は聞いてくれたようだった

 

昨日も

呼吸が落ち着いたころ

またイヤホンで私の声を聴かせたよ

 

とメールに書いてあった

 

そうか

 

父は

私の声を聴きたくなかったとは

思わなかったのだな

 

そして

周囲の人間が

最後にまた聞かせてもいいと 判断するほど

私の声を聞きたいと思ってくれるような反応を

父はしていたのだな

 

なら

よかった

 

私は父の声は聴けなかった

でも

 

父は聞いてくれた

 

 

 

2015年

隣家の柔軟剤により

私は化学物質過敏症になり

周囲を混乱に陥れた

 

これ以上は夫に、家族に迷惑しかかけない

既に夫は壊れてしまった

体が動かなくなったら介護をしてもらわねばならない

彼には何の影響もないのに化学物質を排除した不自由な生活を強いながら

そしていつか性格ももっと狂暴になるかもしれない(化学物質過敏症の症状の一つ)

周囲を苦しめて徐々に双方が破綻して離れるよりも

今嫌われるよう仕向けてすぱっと離れよう

 

2018年

そう決意して家を出

知人、夫、家族との連絡を一切断った

 

家出をしてから数日後

本当に最後のつもりで非通知で父に電話をかけた

最後に父の声が聞きたかったから

 

いつもなら非通知だと電話に出ないんだよ

でも今日は出たんだよ

心配するよ

だって親なんだから

 

そう言った父の声はだんだん泣いている声に聞こえてきた

 

父の携帯電話の充電が切れて

会話は終わった

 

充電がないんだ、もうすぐ切れちゃう

また電話を

 

最後に私にそういった

でも私はその後、電話をかけることはできなかった

 

これが私のきいた最後の父の声になった

この日が最後だと覚悟を決めていたから

今、声が聴けなかったことで悲しみはしないはずだ

するな

 

 

 

父は過去に

 

俺はぼけ老人(そのころまだ 認知症という言葉は浸透していなかった)になってまで

生きていたいと思わない

長く寝たきりになりたくない

自分が知らず周りに迷惑をかけるような最後にはしたくない

 

と言っていた

 

 

昨日の知人との話であの時の父との会話を思い出し

ああ、やはり親子なのだなと思った

そして

もしかしたら父は

自分の理想とした別れと旅立ちができたのかも

と思った

 

思うことにした

だって 笑顔 だったというのだから

 

 

去年の2020年11月~12月頭にはまだ元気で外で活動もしていた

12月クリスマスイブに嚥下困難で病院に行き末期宣告された

1月頭に胃ろう、ステント設置

病巣に関しての外科的、化学療法的処理はなし

2月中旬から食欲低下

2月末日 動くのは排泄時トイレに行く時のみ

あとは終始座椅子にもたれている

痰で息が苦しいらしくあまり寝ていない

容体が急変したがその後は

意識ははっきりしているし視力も弱っていない

なんとか話すこともできる

 

本当に

あっという間にすべてが進んだのだと知った

 

だから私は

 

 

早すぎる とか

もっと長く とか

まだまだ とか

 

考えない 望まない 願わない

父の理想が実現したのだ

だから私がそんなこと思ってはいけない

と自分に言い聞かせる 頭にねじ込む

 

父以外の意思が介在する余地はないのだ

そして本意を誰も知らないのだから余計に

旅立ちの時期について

他人がどうこう言ってはならない

 

 

 

私は葬儀にはいかない

 

私を見て 笑顔で語りかける父には

もう会えないのだから

 

仮に父がどこかでみてくれていたとしても

弔問客の柔軟剤や香水そして線香で具合を悪くする私を

そんな私を見せるわけにはいかない

 

それ以前に

 

最期に父に逢いたいから

みんな柔軟剤不使用の服を着てバスに乗ってください

 

なんて赤の他人に言えるわけないだろうが

 

 

父が末期がんであると連絡を受けたのは2月28日

詳細をメールで知ったのは3月1日

声を録音したのが3月4日

そして3月8日の朝1時…

 

1週間

 

世界の創造も1週間だし

ベンン・ハー が好きだった父らしいな と

訳も分からず勝手に思った

 

 

化学物質過敏症でなければ

電磁波過敏症を併発しなければ

家を、家族を捨てて一人で生きる選択をしなかったかもしれない

電車に乗る遠距離に父がいても、先週の公休日を使って会いに行った

そしておそらく葬儀は私の公休日に重なる

職場に後ろめたさを感じることなく電車にのり

父のもとで一晩線香をあげ続けた

 

 

全部 できない

 

 

過去住んでいたマンションの隣室の柔軟剤が原因だが

もしかしたらそれがなくても何かしらで発症したのかもしれない

冷静になればそれだけを目の敵にしてはいけないと思うのかもしれない

 

でも

 

貴様らが別の部屋の住人からも「これはひどいと」言われるほどの

香料をまき散らしていなければ

こんなことにはならなかったんだ

 

 

 

 

先週は日にちの余裕だけはあったから

こんな体でなければ 電車とバスに乗って会いに行けた

家出する前までは、年に4回は会っていた

一緒に買物に行ったり、外食だってしていた

 

もう あえない

 

父の為に昔の音源から取り出してCDに焼こうと思っていた音楽リストも

CDROMのVOCのにおいがつらくて未完成のまま

もう、編集する必要は なくなった

 

お父さん さようなら

 

 

 

葬儀の前にその手に触れることもできない

 

 

父と私の好きだった映画をリバイバル上映していても

柔軟剤まみれの映画館に入れない

 

本屋で待ち合わせして、百貨店でストールを買ってもらった

書籍のインク臭と化粧品の香料で

どちらのお店にももう入れない

 

私のつたないアクリル模写をみて

「そのまま飾るのはもったいない」と額縁を買ってくれた

絵の材料費よりも額の方が高かった

その店にも、画材屋さんにももう入れない

画材からのVOCで手に取ることすらできない

 

父が焼いてくれたDVDも、においのせいで

再生できないものがある

 

父の好きだったダークチョコレートも

幼いころよく作ってくれたインスタントのラーメンも

添加物が入っている

もう食べながら思い出に浸ることもできない

 

大学生のころ

父と二人で近所の梅を観に

ぶらぶらと歩いて沢山話をした

私は兄弟の中で一番父と話をし、

一番仲が良かったと勝手に思っている

今は冬でも住宅街には柔軟剤のにおいが漂う

父を思い出すあの場所にはもう行かれない

 

 

 

なにも できない

 

 

たった一人に向けた youtubeチャンネル

 

父によく似た己の手

 

筋の浮き出た手の甲

細く長い指を

 

キーボードを打つその手を

じっと眺めながら

 

youtubeチャンネルを

1つだけの動画とともに削除した

 

できるのは それだけ

 

 

 

涙だけが流れる

 

ただし

 

昨日までと違い

 

今は感情と嗚咽を伴って流れる

 

お父さんとお母さんの結婚式場