みゃうまつもは穏やかに暮らしたい

化学物質過敏症みゃうまつもの雑記帳 言いたいことも言えないこんなおからだじゃ~

8月28日は虹の橋記念日~いつまでも雨に濡れていませんように…

どのこもみんな

おいしいものをおなか一杯食べられる

あたたかくて幸せなところで暮らしていることを願う いきもののはなし

 

 

これは4000字の読書感想文です

 

 

8月28日

虹の橋記念日

 

記念日 

という単語がふさわしいのかわからない

でもこの日を決めたことで

苦しい日々を過ごし続けるパートナーに

 

だからそんなに苦しまないでね

 

と伝えるきっかけになったり

するのだろう

 

8月28日は虹の橋記念日 あなたの愛と悲しみはあのこたちにちゃんと伝わります

 そしてあなたのあのこたちへの感謝と

 今まで過ごした幸せな時間の記憶は

 あの子のいる虹の橋をより素晴らしい場所にするのです


 

 

 

 

虹の橋 とは

 

虹の橋 は

 

散文詩

物語

 

作者はアメリカのひと

続きを日本のひとが書いた

 

と様々です

 

 

fukufukuyama.com

こちらでは詩の英語版(オリジナル)と和訳の2つを見ることができます

 

 

別のサイトでは

詩ではなく「物語」と記載され

3部構成の物語になっています

 

www.inori-orchestra.com

 

1部:先ほどの詩と同じ内容のようです

2部:1部では語られないケースのお話です

3部:日本の方が書かれたお話です

 

 

 

みゃうまつもにとって

どれが原典だとか

そういったことは関係ありません

 

今までの記念日と違い

これは大元を知るともっと深く理解できる

というものではないような気がするから

 

 

 

散文詩と物語の第1部は同じ内容ですので

ここでは3部構成の物語全編についてお話しします

 

虹の橋のお話についてはリンクのサイトをご覧頂くことにして

ここでは詳細を省きます

 

 

 

虹の橋は拠り所

 

愛するパートナーを失い

もうその温かさに触れることも

美しい瞳で見上げられることも

生命の証である鼓動を感じることも

永遠にできなくなった

 

そのつらさを癒すために作られたお話なのでしょうか

それとも

 

 

私と別れたあのこの魂は

今どこにいるのか

穏やかでいるのか

 

そんな心配を打ち消すために作られたでしょうか

それとも

その両方なのでしょうか

 

 

 

いずれにせよ

虹の橋のお話は

 

 

今あのこは苦しんでいません

今はそばにいなくても

また会えるのです だから

あなたもそんなに苦しまないで

いつか迎えに行ってあげてくださいね

 

飼い主の心を癒し

パートナーが今苦しんでいないことも伝え

さらに

 

 

今あのこは苦しんでいません

一番元気で幸せだった時の体になって

心穏やかでいるのです

だから安心してください

 

別れた彼らが幸せであるのかという

確認できない不安を解消する拠り所となる

 

 

そう思う事が

残された者がこれから生きていくためには必要だから

そして

 

誰かにこれを言ってもらうことで

自分で考えて無理やり納得するよりも

説得力がある場合がある

 

 

 

このお話ができたのは

1980-1990頃と言われています

その前にパートナーを見送った方は

大変つらかったでしょう

 

虹の橋のようなことを

自力で思いついても

 

それはしょせん自分が楽になりたいだけの作り話だ

 

と自分を責め

喪失感は消えることなく

忘却は罪であるとがんじがらめになって

本当に

本当に

苦しんだことでしょう

 

 

だから

みゃうまつもにとって

虹の橋のお話が

詩であろうと物語であろうと

作者が沢山いようと

そこは問題ではないのです

 

虹の橋という存在が

多くの方の拠り所になっていればそれで

 

 

虹の橋を知らない時代~みゃうまつもの実体験

 

みゃうまつもは

22年前に

しばいぬを見送りました

 

14歳の大往生と言われました

 

 

年代的にはすでに虹の橋のお話はあったのですが

みゃうまつもは知りませんでした

 

 

一人暮らしをしていた時

みゃうまつもの留守番電話に

母が泣きながらメッセージを入れてきました

 

帰宅してそれを聞きすぐに

仕事を休んで実家に戻り

その数日後

私の目の前でこの世から旅立ちました

 

 

何度も心臓が止まり

その都度父が心臓マッサージを施しました

 

そんな中

横たわっていたあのこは

外に出たいようなそぶりを見せたのです

 

もう立ち上がることはできなかったので

せめて外の風を感じさせようとしたとき

 

 

あのこの

目が

 

すうっ と

 

本当に明かりが消えるように

目の光が

 

すうっ と失われました

 

 

 

私の目の前で

あのこを支える私の手は

あのこの体温でまだ温かいのに

 

 

黒く美しく輝いていた目が

乳白色に濁った

あの瞬間は一生忘れません

 

大学時代に寮生活となり2カ月目 母から

一旦帰ってこれないか ごはんを食べない

と連絡があった

 

週末に帰宅し

あのこの目の前にごはんを置く

食べない

手のひらにごはんを載せて差し出す

食べる

ちゃんと食べる

完食

 

貴女に甘えているのかしらねぇ

いなくなっちゃったから

 

と母に言われ

喜んではいけないのにうれしかった

 

 

そんなこだったからでしょうか

誰かが私にいいました

 

 

貴女が帰ってくるのを待っていたのかも

間に合ってよかったね

 

 

でも

間に合わなかった家族もいたのです

 

こちらに向かう最中だった兄弟

既に家庭をもって離れて暮らす兄弟は

間に合わなかったのです

 

 

ごめんなさい

わたしだけ

ごめんなさい

 

 

そしてその半月後

みゃうまつもは

 

癌の宣告を受けました

 

 

 

 

気遣う言葉が傷つける

 

近所の診療所で

すぐに大病院に行きなさい

と紹介状を書かれ

 

大学病院では救急枠と入院患者枠を使って検査が行われ

当日 宣告を受けました

 

翌日即入院

その数日後に無理やり枠を開けて手術をねじ込んだ先生から

親を呼ぶように言われました

 

 

手術してみないと

助かるかどうかはわかりません

 

術後

麻酔から目が覚めた時

腕に2本ではなく

3本の管が入っていたら

 

3ヵ月

 

と思ってください

その場合は家には帰れません

 

注:みゃうまつもは医療系をちょっと齧っており それを知った先生はかなりはっきり事実を教えて下さいました ありがたいことです 自宅の整理も遺書を残す事もできずに入院したので 死の覚悟よりも残したPCデータの方が気がかりでした(フフ

ちなみに3本とは

1:普通の栄養点滴

2:抗生剤点滴

3:抗癌剤

 

 

卵巣癌は開けてみないと状態がわからず

みゃうまつもの場合は更に緊急性+難関があったので

 

開けてみて

A 手遅れだったら 3か月(腕に3本)

B 手遅れでなかったら手術の出来次第で 3ヵ月(腕に3本)

C 手遅れでなく、且つ手術が成功すれば 5年以上大丈夫(2本)

 

というまるで博打のような状態だったのです

 

 

入院初日のみゃうまつもの体を見て看護師さんは

「ああこの人はもう助からない、長年の経験からわかる」

と思ったそうです

 

結果

目が覚めたら2本

Cのパターンでしたので今も生きています

 

 

 

なぜ今この話をするのかといいますと…

 

 

 

そんな風に危機的状況だった

みゃうまつもは

 

 

あのこを失ったばかりの家族に

面倒をかけてしまっている

 

 

という罪悪感を抱いたまま手術を受けました

そして幸運(?)と奇跡が重なり

無事に手術が終わった私に

母はこういいました

 

 

あのこが貴女の身代わりになってくれたのね

 

 

心臓が止まるたびにこちら側に戻されて

苦しかったろう

生きてほしいと思ったのはヒトのエゴで

いたずらに苦しませただけだったのではないか

本当は

もうやめて と

云いたかったのではないか

それ以前にあのこは

私たちと暮らして幸せだったのだろうか

ああ、できる事なら代わってあげたかった

 

 

そう考えていた私にとって

母の言葉は

 

  

あのこは最後まで苦しんで旅立ったのに

私の病気の苦しみも背負っていったのか

なんであのこが

なんで逆じゃなかったんだ

 

 

後悔させるのに十分な力を持っていました

 

 

あのこは子宮付近の病気だったと聞いた

私は卵巣だ

 

 

そのことも

母にとっては自分の考えを裏付けるものになったのですが

私には罪悪感と後悔しか残しませんでした

 

 

 

虹の橋を知らなかったみゃうまつもは

自分を肯定することもできず

あのこが幸せだったかも疑問となり

今あのこは継続して苦しんでいるのではと

長く 長く 悩みました

 

 

あの時

虹の橋の存在を知っていたら

なにか変わったのでしょうか

 

 

虹の橋を知って~新たな苦しみ

 

それから再発転移もなく5年を過ぎ

みゃうまつもはTNRなど

外の動物と関わるようになりました

罪悪感からなのかもともと動物好きだったからかはわかりません

 

そして自転車通勤に変えてからは

交通事故に逢ってしまったねこさんにも遭遇するようになりました

 

 

その少し前に虹の橋の話をどこかで聞き

自分をちょっとだけ肯定できるようになりました

 

 

しかしその時知ったのは

物語でいうところの第1部だけでしたので

野良猫 地域猫と関わるようになってからは

更に新しい苦しみにさいなまれました

 

飼い主のいないこのこたちは

いつまでも虹の橋を渡れないの?

確かに もう飢えも寒さも無い

明るい所で過ごしているけれど

 

一緒に過ごす仲間はいずれ

迎えに来たパートナーと一緒に

虹の橋を渡っていく

 

このこたちはそれを見送り

また新しい仲間を迎え…

そしてまた見送るの?

…ずっと?

 

 

それがとてもつらくてたまりませんでした

そうして今日

第2部と第3部を知ったのです

 

 

ああ、今世で逢えなかった二人が

虹の橋のたもとで初めて出会い

一緒にわたっていくんだね

 

ああ、誰かを見送るだけのこは

いないんだね

 

 

今回の記事が予定より長くなったのも

この第2部のお話を知ったからなのです

 

 

一つの苦しみが消えて今願う事~いつまでも雨に濡れていませんように

 

そして唯一作者が判明している第3部

 

 

人によっては

このお話があるから

失ったこのためにも

前を向うと思えるかもしれない

でも

 

 

 

私たちが流す涙が

虹の橋の入り口「雨降り地区」に降り注ぐ

降り続いていても大抵のこは日差しに向かって出ていくが

中には1年たっても雨のなかから出ないこがいるという

私たちと同じ辛い思い、同じ悲しみを共有して凍えていると

 

 

 

私が見送ったあのこには

私たち家族6人分の涙が降り注いだ

 

旅立つ間際にあれだけ苦しめ

私の身代わりとしてさらに苦しみを背負わせ

私は悲しみと後悔と勝手な罪悪感で

雨降り地区に佇むあのこに

更に冷たい雨を降らせたのだ

 

 

私たちの幸せに満ちた記憶が虹の橋を作っているという

 

 

あのこには私からの記憶がなくても

私以外の5人分の記憶で作られた素晴らしい場所にいるはずだ

 

 

 

長い間冷たく苦く、汚い私の雨を降らせてごめんなさい

どうか数か月くらいでとっくにあたたかい所に飛び出してましたように

もう21年以上ずっと幸せなところにいますように

 

 

私があなたの家族でなかったら

こんな汚い雨に濡れることもなかったでしょう

もう遅いかもしれないけれど

 

 

私はあなたの疫病神なのです あなたの家族ではありません

あなたのやさしい家族は5人もいます

 

 

だから

 

 

あなたのいる虹の橋はとても素敵な場所のはずです

ほんのわずかな間あなたにふった冷たい雨は

純粋な悲しみだけの冷たいけれどきれいな雨です

だからきっと早いうちに素敵な場所に飛び出していきましたよね

 

 

 

ああ

そうでありますように

 

 

 

でもそれを願う事すら

みゃうまつものエゴなのだ

あのこがとっくに飛び出していった雨降り地区に

未だに汚い雨を降らせるだけなのだ

 

 

私のこの考えは

対人間でも同じだ

 

もう何年も

家族から忘れられたいと願っている

 

そして確実に

私の汚い雨に降られないようにするには

更なる覚悟が必要だ

 

 

そして国語の授業

 

作者はそんなことを考えて第3部を書いたのではないこと

もちろん理解しています

 

国語の授業で

 

作者の伝えたいことはなにか

 

と聞かれたら

 

 

ペットは私の記憶でできた幸せな場所で私を待っているから

私も早く泣きやんでまた会う時を楽しみにします

 

 

と答えるでしょう

それが作者が伝えたかったことだと思うからです

 

私が感じてしまった気持ちを答えなさい

という問いではないから

 

 

私の書いた読書感想文は

何点をつけられるのだろうか