みゃうまつもは穏やかに暮らしたい

化学物質過敏症みゃうまつもの雑記帳 言いたいことも言えないこんなおからだじゃ~

そんな手段はまだ発明されていない

11月2日は

父の誕生日

 

ハリソン・フォード

同い年

 

 

読書が好きで

映画が好きで

音楽が好きで

 

子供と一緒にスポーツをする知識も体力もあって

医学はもちろん、自然科学にも明るい

宗教に深入りはしないが

キリスト教や仏教など、思想としてよく本を読み

教会や建物、宗教の謎などにも興味があり

 

末っ子のわがまま気質で

人当たりはいいのに

会社で群れて仕事をするのが苦手な

 

 

それが

私の中での父

 

他の人はまたそれ以上の/それとは違う

イメージを父に持っているかもしれないが…

 

 

私がそこそこ体力があり

肺活量が同年齢の1.5倍あったために

喘息の発作が軽く済んだのは

もともとの体力があったのと

ラソン、水泳を父から教えられたからだ

 

自転車も、縄跳びも、バドミントンも、野球も

全部父から教わった

なぜかスキー以外 雪国育ちなのに…

 

夏目漱石も、森鴎外も、江戸川乱歩も、富田恒夫も、塩野七生

 

シェイクスピアも、トム・クランシーも、ル・カレも、フォーサイスも、アリステア・マクリーン

 

推理小説も、歴史ものも、冒険小説も、SFも

 

ヒッチコックも、黒澤明も、スピルバーグも、キューブリックも、小津安二郎

 

グレゴリー・ペックも、ジェームス・スチュアートも、ヘプバーンも、ジュリー・アンドリュース

 

クラシックも、ジャズも、ロックも、シャンソンも、ミュージカルも、ニューミュージックも

 

ヴィクター・ヤングも、ヘンリー・マンシーニも、ビゼーも、チャイコフスキー

 

サッチモも、ニニ・ロッソも、ポールモーリアも、フランシス・レイも、パーシー・フェイス

 

天体望遠鏡も、顕微鏡も、釣りも、昆虫採集も、のこぎりの使い方も

 

すべて父を通して知った

 

 

スポーツのように

直接教えてもらったものもあるし

絵画のように

自分が知らないものでも私が少しでも興味を持ったものに対しては

後押しをするように物をそろえてくれた

 

父の持つ

多岐にわたる膨大な資料や本は

いつでも手に取れる環境で好きなだけ読めた

日常に映画や音楽が流れていた

 

 

私はなんという贅沢な環境で育ったのだろうか

 

 

3月8日からまもなく8か月

数か月前よりも減ったものの

未だにふと思い出して、涙を流す

 

 

父から譲り受けた思い出の詰まった本は

家出するときに持っていかれなかった

 

データだから持ち出せた

自分の好きな映画も、音楽も

殆どが父を思い出すから

今だに観れないし 聞けないでいる

 

 

父の作る料理といえば

インスタントラーメンと焼きそば

塩ラーメンに卵を落としたものが一番心に残っている

久しぶりに買って調理した

 

油で調理された麺、添加物過多のスープのそれは

恐らく昔と変わらぬ味のはずなのに

 

化学物質を拒否する私の体は

もうそれを受け付けなかった

 

 

 

父との思い出につながるものを

こころが、からだが、受け入れてくれない

それなのに周囲の環境は容赦なく

父を思い出す要素を私に突き付けてくる

 

 

お店から、ニュースから、公園から、夜空から…

 

 

弱っている時に提示されると涙が止まらない

無理やり記憶と後悔の念を引き起こされて苦しむ

 

 

父にはもう会えないのに

なんで私はまだ生きているのだ

 

 

 

父は昔私に言った

 

病院で寝たきりになったり、自分がわからなくなったりして

周囲に迷惑をかけながら生き続けるより

スパっと死にたい

 

恐らく、いや絶対

父はその通りになったと思う

 

 

末期の宣告を受けてからしばらくは自力で動けて、食事もとれた

負の遺産を残さず、最後にほとんど出ない声だったが遺言を残したという

私以外の子供・孫全員には最後の1週間の間に逢い

みんなに別れの覚悟を持たせながらも長く寝たきりにならず

あっという間に旅立った

妻と長男に手足をマッサージされながら 眠るように

 

その顔は

微笑んでいたというのだから

 

 

だから

もう少し生きていてほしかった

と 思ってはいけない

 

けれど

なんで私はまだ生きているのだ

 

 

 

唯一と思っていた家族を不幸にし

逃げることでしか救えず

結婚してごめんなさい

父がしてくれたように子に知識を与えず

この結果ならむしろ子がいなくてよかった

シフトに穴が開かないように出勤することだけしか能がなくて

自分のエゴで父を思って泣く私は

何でまだ生きているのだ

 

 

 

死後の処理と手続きを遺族に「全く」負担をかけずに済み

苦しみと不安と痛みのない最後を迎える手段が発明されたら

どんなに良いだろうか

 

実際はそんなものはないので

仕事や柔軟剤でへとへとになっていない時

自分で少しずつ準備をするしかない

残されたものの負担を少しでも軽くするために

 

その間に

恐怖が戻ってきたら困るのだが

 

 

 

よく人に言いはしないか?

 

”そんなこと考えてては”

”そんなにいつまでも悲しんでいては”

”元気にならないと”

 

お父さんが悲しむよ

 

 

私はもう何度も聞いた

「そうですね」

一応大人なので常にそう返すが

 

 

あなたには父が悲しんでいるのがわかるのか

私には父が見えないし言葉も聞こえないのに

 

「親なら普通はそうでしょう」?

あなたは私の父を私より知っているのか

私の父を「普通」とあてはめるくらい父を知っているのか

 

 

いいがかりなのはわかっているから

「そうですね」

とだけ返す

人の前で泣かなければ、落ち込まなけれはいいだけの話なのだから

人に気遣わせてしまう自分が悪いのだ

 

だから

自分を構成する要素の

ほとんどが父由来である私は

本当は外に出てはいけないのだ

 

家の中も、外も

父を思い出す要素でいっぱいだから

 

苦しみも不安も

後顧の憂いもなく…

そんな手段はまだ発明されていない

 

そこにはいないが