みゃうまつもは穏やかに暮らしたい

化学物質過敏症みゃうまつもの雑記帳 言いたいことも言えないこんなおからだじゃ~

読書通帳~技術の進歩がもっと早かったなら?

流れてきたtweetで

読書通帳

という存在を知った

honn to eiga to onngaku ga totemosukidatta kara imaha sono subete ga turai

 

 

cloud-app-support.fjas.fujitsu.com

削除されていたので別のサイトを(2023/09)

 

www.trc.co.jp

 

今までは自分の借りた本については

自己で記録しておかなければならなかった

 

いくら本人でも

過去の貸し出し履歴一覧を

図書館で入手することは不可能だった

 

個人情報の観点からだそうだ

十数年ほど前の話

 

 

 

こちらのサイト

日本図書館協会

www.jla.or.jp

 

 

やはり過去に言われた通り

貸出履歴保護

という事で見せてもらえなかったのだ

 

 

この文書では

自分が最近知った

 

読書通帳

について述べられている

 

 

今回はその変遷については一旦置いておく

大変興味深い内容だろうとは思うのだが

今の自分の胸によぎったのは

 

自分の過去の貸出履歴や

図書館の個人情報と閲覧履歴の関係の変化

 

ではなく

 

 

父の事だ

 

 

私が小~中学生の間に

近所に総合庁舎が建てられた

 

区役所

保健所

消防署

警察署

市民ホール

そして

 

図書館

 

父の影響で本をよく読み

小学校高学年のころにはもう

高学年向けに意訳&編集された外国の推理小説では物足りず

大人がが読むちゃんとした本を欲していた

 

父がそれをうれしく思ったからなのかはわからぬが

旧仮名遣いの夏目漱石等

自分の蔵書を沢山押し入れから出して来て

子供らの手に届く本棚に移した

 

結果としては残念なことに

自分は漱石より鷗外派で

江戸川乱歩や横溝正史の表紙は黒地に赤文字装丁で

小学生には恐ろしく手に取れずじまい

 

父が初めて子供らに開放した蔵書は

ハードルの高いものであった

 

しかし父の幅の広さは

和洋文学のみならず

仏教、仏像

キリスト教

古代ローマ

精神論

そしてなぜかゴルゴ31…

 

ハリウッド映画や黒澤、小津

あまたの映画ビデオテープの塔と共に

地震が来たらどうなるかという量が

棚に並べられていたのを理解したのは

そのあとであった

 

 

そんな時

父の職場の目の前

自宅からは10分ほど しかも

中学校の登下校通路上という

 

最高の立地条件を兼ね備えた場所に

図書館ができたのだ

 

開館日は7月多分20日

終業式で父と昼に

図書館に行ったはずだ

 

 

燦燦と日光の降り注ぐ

明るい広場から一転

落ち着いた明かりと涼しい室内

背の高い書架が並ぶ圧倒感

 

図書館独特の雰囲気が

開館当初からあったというのは

記憶違いか

 

開館間もないという事で

図書館につきものの静けさだけは

なかったのは確かだ

皆初めての利用なのだから当然なのだが

 

 

そして図書カードを作成し

夏休みに読む本を借りた

 

 

中学の夏休みは

宿題の多さと

充実した部活動と

いじめにあっていた小学校6年の時とは打って変わった

仲良し4人組との交友で

楽しく、あっという間に過ぎ…

 

 

読了前に期限が切れて返却の憂き目にあうのだが

 

 

それでも通いやすさと中学図書館にはないラインナップは

繁く通う理由にならないわけがない

 

 

専門書の多さは

多くの工芸品、画集、医学関連書籍を読むきっかけとなり

年齢相応の蔵書で構成された学校のそれとは

まったく違うレベル・ジャンルに出会える場所だった

 

大学生になり

はじめて社会人席を使用したときの緊張感

 

結婚してからは

家事・手芸・DIY等の本を買わずに済むため節約になった

 

 

 

そんな時

父と久しぶりに会って話した

 

 

今までに図書館で沢山の本を借りて読んだけど

これは自分の歴史になるから

自分が借りた本の一覧を見せてくれって

図書館にきいたら

 

個人情報の観点からお見せできません

 

って言われたんだよ

自分の履歴でもですか

ってきいたんだけどね

 

途中からワープロで記録しようとか考えたんだけど

やっぱり最初からほしいよなあ

もう何十年分になるから

やっぱりね

ああこの時期にこんな本読んでたんだ

とか

この本は何度も読んでるんだな

とか知りたいときとかあるじゃない

 

 

…ああ、それは確かに

自分の歴史として知りたいと思ったのなら

最初の1冊目から欲しいなあ

でも残っていないのかな

何年かおいてデータ削除しちゃうとか?

でも履歴って個人情報なのかな?

 

 

…といったような会話だったと思う

 

 

 

それからだろうか

父は蔵書に限っては

読んだ後

本に年月日を記入するようにしたようで

それを見せてくれた

 

 

トム・クランシー

レッドオクトーバーを追え

 

文春文庫のこの本の奥付に

鉛筆で

父の独特の筆跡で小さく書かれてあった日付

 

 

蔵書の判を押したり

本に日付を書き込んだり

 

母はそれを快く思わず

こんなにしちゃったら売れないじゃないとかなんとか

自分に愚痴をこぼしたが

 

 

自分には

父の自分の本に対する感情がわかるし

母の本を大事にする気持ちもわかるから

複雑な思いで文句を聞いていた

 

 

 

 

そして10年ほど前

両親は私たち兄弟が育った大きな家を引き払い

診療所をたたみ

2人だけの狭い集合住宅へ引っ越した

 

化学物質過敏症になってからはもう

乗ることができなくなった

車か電車でないと行かれない土地へ

 

 

新しい所は以前より狭くなったから

家を引き払うときに

父は蔵書をかなり処分したと思われる

 

一部の文庫本で

私の好きなものと

父が処分を惜しんだものは

当時2人暮らしなのに4部屋もある家に

引っ越すことになった私に譲られた

 

 

モンテ・クリスト伯

姿三四郎

八点鐘が鳴るとき

…等…等…

 

 

レッドオクトーバーを追え

もそこに入っていた

 

これらが自分のもとに来たという事は

恐らく一番のお気に入りの書籍のなかでも

ほんの一部だけしか

手元に残さなかったのだろう

 

譲り受けた自分は

それを読んでも

奥付に記入はしなかった

既に書かれてしまっていても

やはり自分で本に記入をする行為は

したくなかったからだ

 

でもその文字を見ると

ふふふ

とほほえましく思えた

 

 

達筆

とは言い難い

父の字

 

 

家族に

 

お義父さんの字は

貴女が急いで走書きした文字に

にているね

 

といわれた手書きの文字…

 

 

 

引っ越しの際

父が手元に残したであろう書籍が

何であったのかは知らない

 

もう父が手に取ることができない場所にある

母だけが住む家にある

その本たちが

今どうなっているのか

 

黙って家を出た自分に

聞く権利は ない

 

 

 

自分が家出をした時

譲り受けた文庫本は持って出られなかった

 

数年前はそれを

とても悲しく残念に思っていたが

今はそれで正解だったと思うことにしている

見て泣く時間が増えるだけだから

 

 

 

今回

読書通帳の話を耳にし

 

上記の事を一気に思い出した

 

 

 

懐かしいあの図書館では

まだ読書通帳のシステムは導入されていないようだ

 

自筆で記録する読書「手帳」はあるようで

pdfファイルがDLできるのだが

自分で書くのではワープロと同じだし

過去に遡れない そしてそれすら

導入時にはもう

父は他県に引っ越しており間に合わなかった

 

 

父の最後の住まいの村にも

立派な図書館があったようだが

調べたところまだ読書通帳はないようだ

 

 

一瞬

 

ああ、技術の進歩がもっと早かったなら

 

などと思ったが

三十数年前には

とてもそんな技術はなかっただろう

 

 

だから

これは

全く意味のない

無駄な感傷だ

 

 

自分にも誰にもどうしようもない事について

 

もしもっと早くに〇〇だったら

 

と考えることで

行き場のない感情をやり過ごそうとしているのだ

できるかどうかは別問題でとにかく

無茶なことを考えるのだ

自虐的というのか

 

 

 

1ヵ月ぶりに

声をあげて泣いた

父の日にもここまでではなかったのに

 

 

やはり

父との思い出の濃く残るものすべてを

置いて出てきて正解だったのだ

 

 

 

今はそう思い込むことにする

 

 

 

36年前の7月

父と一緒に作った

夏日に反射する図書カードの輝きと

未だ老眼鏡をかけずに本を手に取る

父の面影

それだけでこんなに涙が止まらないのだから

 

もうそれでいいではないか